GAFAの原点リーランド・スタンフォード

こんにちは。いかがお過ごしですか?

みんさんはリーランド・スタンフォードという人をご存知でしょうか?

スタンフォード大学の創設者です。

今回はこのリーランド・スタンフォードについてご紹介したいと思います。

なぜ、リーランド・スタンフォードが重要か

GAFAの原点

まずは、GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)といわれるアメリカ西海岸のIT企業の原点だからです。

彼はゴールドラッシュの時代にアメリカ東海岸から西海岸へ移動しました。

そして、多くの新しい事業を生み出し、成功させました。

また、その一環でスタンフォード大学を設立し、多くのアメリカ西海岸のIT企業を生み出したのです。

GAFAを知るためにはリーランド・スタンフォードの物語は必須です。

変化と勇気を持ち合わせる

そして、変化と勇気を持ち合わせていたからです。

逆境を変化のチャンスと捉えました。

これは昔と変わらず、いや、変化の激しい現代だからこそさらに求められる能力です。

今から200年も前の人ですが「変化と勇気の法則」の典型のような人でした。

金鉱堀りとしてカリフォルニアへ移住しますが、すぐに金鉱を掘るのはやめ雑貨商を始めます。

「金鉱堀り」と「ツルハシ売り」の話として、以前のブログでまとめていますので良かったらご参照ください。

変化をお金を稼ぐ人はチャンスととらえる

私が、いまリーランド・スタンフォードの話を書こうと思ったのは 「変化と勇気の法則」を本で読んだからです。

「変化と勇気の法則」とはカリスママーケッター神田昌典さんが 「稼ぐ言葉の法則」ダイヤモンド社 の中で書いている法則です。

自分が逆境にあったり、おかれた状況が悪くなると、貪す人は「こんなことあってはならない」なげきます。

お金を稼ぐ人は「そうか!これは面白くなってきた」とチャンスととらえるそうです。

超ポジティブ思考ですね。

文句を言わず、変化にたちむかい「変化の先にある、大きなチャンスは何か」と行動を通して考えるそうです。

つまり、変化をチャンスと捉えるという考え方です。

そこですぐに連想したのがリーランド・スタンフォードでの物語です。

リーランド・スタンフォードのチャンスの捉え方

リーランド・スタンフォードとは

私が好きな話の一つが「リーランド・スタンフォード」の苦労と成功の物語です。

ニューヨーク州オルバニーの比較的裕福な家庭で生まれ、7人兄弟の4番目。24歳の時、弁護士試験に合格して弁護士としてい仕事を始めます。26歳の時にジェーン夫人と結婚して、生涯夫婦仲は良かったようです。32歳の時にカリフォルニア州のサクラメントに移住します。

最初は自らも金の採掘をしますが、すぐに採掘はあきらめ、金の採掘者向けに雑貨商を行い財をなします。

やがて、大陸横断鉄道の一つ、セントラル・パシフィック鉄道を設立して社長になり、カリフォルニアの偉大な成功者「ビッグ・フォー」の一人となりました。

その後カリフォルニア州の知事に当選します。

また、44歳の時にタンフォード大学を創始し、上院議員にまでなりました。

1893年に心筋梗塞で70歳で亡くなっています。

と書けば、順風満帆の人生と思えますが、決してそんなことはありませんでした。

苦難1:法律事務所が火事になる

24歳の時に弁護士になり、順調に弁護士として活動をしていました。

しかし、1952年28歳の時に彼の弁護士事務所は家事で焼けてしまい、法律関係の多数の蔵書を焼失します。

弁護士にとって蔵書を失うことが大きな損失であり、そこで、彼はカリフォルニア行きを決意します。

お兄さんの一人がすでにカリフォルニアへ行っており、そこで一緒に仕事をして一旗あげようと考えたたようです。

当時、カリフォルニアは未開の地であり、そこに無事に行きつくだけでも大変なことでした。

スタンフォードはパナマ経由でカリフォルニアへ向かいました。南下してパナマへ行き、そこで密林をかき分け、陸上を踏破して太平洋側に出て(当時はパナマ運河などなかった)北上するルートです。

1852年にサンフランシスコへ到着した彼は3年間死に物狂いで働きました。そして、3年後はサクラメントに店を開きました。

そして政治家としてか活動するかたわら、1862年に仲間と資金を出し合い、セントラル・パシフィック鉄道の会社を設立し、鉄道の建設を始めるのです。

セントラル・パシフィック鉄道(1869年ごろ)

セントラル・パシフィック鉄道(1869年ごろ)

余談ですが、東京ディズニーランドのウエスタン・リバー鉄道はこの鉄道をモデルにしているのでしょう。

苦難2:一人息子を失う

カリフォルニアで大富豪となったリーランド・スタンフォードしてたが、またまた不幸に襲われます。

59歳の時、最愛の一人息子を失うのです。

当時のアメリカの家庭は子だくさんでしたが、夫婦仲が良いにもかかわらず、スタンフォードが最初のこどもを授かったのは44歳の時でした。

そして一人息子を大事に育てたのですが、ヨーロッパ旅行中に、腸チフスにかかりあっけなく亡くなってします。

しかし、スタンフォードは負けていませんでした。

そこで「カリフォルニアの子が私たちの子だ」と言って、私財をなげうってスタンフォード大学を創設したのです。

大学の設立も難事業だったようですが、息子の死から6年後の1891年に設立されています。

そして、スタンフォード大学には最初から工学部があったそうです。

それまでの大学は哲学、法学、医学、神学しかなかったので、工学部の設立は斬新でした。

もし、スタンフォードの事務所が火事にならなければ、スタンフォードはカリフォルニアへ行くことはなく、そして不幸にも一人息子が腸チフスにならばければ、現在のスタンフォード大学も存在しませんでした。

そうなると、GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)といわれるアメリカ西海岸のIT企業の存在も別の形になっていたと思います。

まとめ

「変化と勇気の法則」の代表例がリーランド・スタンフォードです。

苦境を勇気をもって望み数々の偉業をなしとげました。

彼の物語を目にするたびに、チャンスをピンチに変えたその物語に胸をうたれます。

彼の物語がなければ、現在はGAFAとよばれるアメリカ西海岸起業やシリコンバレーは別の形になっていたでしょう。

日本語ではあまりその生涯に触れる機会はありませんが、私は「アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著 新潮文庫を読んで夢中になりました。

すでに絶版ですが、中古でまだ手に入ると思います。

一読をおすすめします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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