GAFAの原点 リーランド・スタンフォード(その2)

こんにちは。いかがおすごしですか。

今回はGAFAをはじめとするアメリカ西海岸企業の原点であるリーランド・スタンフォードの2回目を書きます。

前回は逆境が立ちあがる部分をメインにしましたが、今回は彼の多彩な職歴から時代の先を読める男であったことに焦点をあてたいと思います。

変化の激しい現代において、時代の先を読むために、リーランド・スタンフォードから学べることは非常に多いと思います。

リーランド・スタンフォードとは

昨日と同じですがもう一度ご紹介します。

1824年ニューヨーク州オルバニーの比較的裕福な家庭で生まれ、7人兄弟の4番目。24歳の時、弁護士試験に合格して弁護士としてい仕事を始めます。26歳の時にジェーン夫人と結婚して、生涯夫婦仲は良かったようです。32歳の時にカリフォルニア州のサクラメントに移住します。そこで雑貨商をはじめ財をなしていきます。

37歳の時にカリフォルニア州知事に当選。翌年、大陸横断鉄道のセントラル・パシフィック鉄道の設立に参加します。44歳の時にタンフォード大学を創始し、上院議員にまでなりました。

1893年に心筋梗塞で70歳で亡くなっています。

時代の先を読める男

華麗なる職歴

リーランド・スタンフォードほどいろいろな職歴を持った人はいません。70年の人生で、

弁護士 → 金鉱堀り → 雑貨商 → 政治家 → 鉄道王 → 牧場主 → 動画開発者 → 大学創始者

とよくここまでいろいろなことができたと思います。

もちろん、リーランド・スタンフォードの才能といえばそれまでですが、一番の才能は時代の先を読む目だったようです。

旧来の価値にとらわれず、次々に新しいことにチャレンジします。

これからは、何が必要で重要か?ということを常に考えていたと思います。

そしてその行動力です。

特に、弁護士時代に自分の法律事務所が火事で喪失し、弁護士の資格を捨てて、当時は地の果てであったカリフォルニア行きを決断した実行した行動力には注目に値します。

鉄道王

リーランド・スタンフォードは早くから鉄道の重要性を見抜いていました。

アメリカの東海岸から西海岸は約4500kmあります。馬車を飛ばしても、情報を伝達するためにはどんなに早くても6日間必要でした。また、人間が移動する場合は馬車で約6カ月を要したようです。

おそらくスタンフォード自身が新天地を求めて東海岸からか西海岸へ移動したときの大変さを身をもって体験したからだと思います。

セントラル・パシフィック鉄道の建設により、8日間で東海岸から西海岸へ移動できるようになりました。また、費用も1100ドルからわずか70ドルになったそうです。

(実際には大陸横断をするためには、セントラル・パシフィック鉄道でカリフォルニア州からユタ州まで移動。そこからは、ユニオン・パシフィック鉄道に乗りついで東海岸へ移動したようです)

鉄道の建設は苦難の連続であったようです。

当時は電動モーターや内燃機関がなかったのはもちろん、蒸気機関で動く機械も1台しかなかったようです。また、セントラル・パシフィック鉄道はシエラネバダ山脈を超える必要がありトンネルを15か所、最長のものは5km、しかも花崗岩のかたい岩盤を切り抜く必要がありました。これらの工事をすべて人力で行いました。

これらの困難を克服する資金力と強い意志をリーランド・スタンフォードは持ち合わせていたようです

牧場主

スタンフォードが注目していたものの一つが馬でした。

鉄道で遠隔地を線でつなぎ、そして各家庭から駅までの面を馬車でつなぐ構想でした。

彼は「アメリカの各家庭が馬車をもてるようになるべきだ」と言っています。今の感覚では自家用車を持つようなものでしょうか。馬のために彼はサンフランシスコの南にあるパルアルトに8800エーカーの大牧場「ストック・ファーム」を1876年に作ります。

彼は馬の品種改良により、より強い馬が作り出されると考え、馬の交配の研究を進めます。

交配により馬の価値が100ドル増加すると考え、当時アメリカ全土に1300万頭の馬がいたので、13憶ドルの価値を生み出すことができるとしました。

実際には、1913年にフォードが自動車工場にベルトコンベアラインを作り、自動車を普及させ馬は過去の移動手段となってしまい、スタンフォードの目論みははずれますが、移動が重要であるということを早くから見抜いて次々と手を打ってきた彼の行動はすばらしいものです。

動画開発者

スタンフォードは動画撮影技術も開発しました。

きっかけは、「馬が走るとき4本の足が同時に地面から離れる瞬間」があるか、ないかの友人との議論に勝つためでした。

このために、彼は動画を撮影して検証しました。

写真が発明されたのが1842年ころなので、動画を撮るという発想自体がものすごく新しいものでありました。

道にそって12台のカメラを置き連続撮影することに挑戦しました。

これもすぐにはうまくいかなかったようでうすが、最後は撮影に成功しました。

その結果、馬が走るとき、4本の足が同時に地面から離れる瞬間があることが判明しスタンフォードの勝利に終わりました。

動画を撮影する技術はその後エジソンやリュミエール兄弟によって進化し、現在のビデオカメラに至ります。

動機は馬の脚運びの論争でしたが、早くから動画に着目していたことは驚きに値します。

スタンフォード大学の創設

リーランドスタンフォードはスタンフォード大学の創設者です。きっかけは彼に一人息子の死です。不幸なことでしたが彼はそのショックから「カリフォルニアの子が私たち子だ」と考えスタンフォード大学を設立しました。

しかも、スタンフォード大学には工学部が始めからありました。ここが非常に重要です。スタンフォードは、科学技術が将来ますます重要になることをすでに見抜いていたようです。

ご存知のように、アメリカ西海岸企業やシリコンバレーでスタンフォード大学の卒業生が大変活躍しており、かれの将来を見抜く目は確かであったことがわかります。

もしスタンフォード大学なかったら、現在の世界はもっと違ったものになったと思います。

すでにスタンフォードの死から130年ほどたっていますが、その影響力はますます強まるばかりではないでしょうか。

現在、スタンフォード大学は英タイムズ紙の2018年世界大学ランキングでオックスフォード大学、ケンブリッジ大学に続きカリフォルニア大学と同率で世界第3位ということです。

まとめ

リーランド・スタンフォードはいろいろな職歴をもっています。

当然ですが、これは彼が時代の先を読む目をもっていたからで、決して飽きっぽいとかういうのではありません。

私たちは現在は変化が激しい時代と言いますが、約200年前のスタンフォードの時代も決して変化が緩やかではなかったと思います。

いかに、時代の先を読み、変化を受け入れるか、リーランド・スタンフォードの生涯からまなべることは大きいのではないかと思います。

最後に、日本でリーランド・スタンフォードのことを学べる書籍は少ないです。

Amazonで検索しても、「スタンフォード式~」という書籍はたくさんヒットしますが伝記はありません。

私の知る限りでは「アメリカ型 成功者の物語」野口悠紀雄著が一番詳しいのではないかと思います。

是非とも一読をおすすめします。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です